2010年05月22日

さびしい夜に(または、自己紹介)

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2010/05/21-1
仕事部屋にて「睥睨するネコ」

夜中にひとりで作業していると、ふと、なにかこう、もの悲しくなってくるときがある。

締め切りが明日の朝に迫っているような、マジでヤバイときにはそんなことは考える余裕もないのだが、今夜のようにそれほど急いでいるわけではないときには、なんとなくさびしくなってしまうのである。

去年、一匹の白いネコを助けてみたら、いつの間にか私に断りもなく四匹に増えてしまったというような話を書いたのだけど、そのネコたちが夜中にもかかわらず結構派手な暴れまくり方をするので、まあ、死ぬほどさびしいというわけではないのではあるが。

今は、静かすぎてさびしいと言うよりも、ネコたちばかりが勝手に騒いでいるものだから、私は仲間はずれにされてしまって人恋しい、という状態が正しいのかもしれない。

正直に書けば、仲間はずれにされてはいるが、ネコたちには感謝しているのだ。

何をどう感謝しているのかと言えば、ホラー映画をひとりで観るときに、とても感謝しているのである。

夜中に誰もいない部屋でホラー映画を観ていると、それはそれはもう、大変なことになるのである。

洋画のホラーは、まあ、それほどたいしたことはない。

女の人や子供やモンスターが、鬼の形相でこちらを睨む程度だからである。

しかし、ここ10年ほどの間に日本で作られるようになったジャパニーズ・ホラーはいけない。

最近のジャパニーズ・ホラーは、はいずってくるのである。

何かわけのわからないものが、ずるずるとはいずってくるのだ。

あんなもの、怖いに決まっている。

あれが怖くないという方はきっと、夜中にひとりきりで、二階にある部屋で作業をしたことがないのだ。

机に向かって作業をしていると、今まさに何かわけのわからないものが階段をずるずるとはい上がり始めているのではないかと気が気でない。

我慢できなくなって、確認のために勇気を出して一階のトイレに行き、よおし、大丈夫! とか思いながら部屋に戻ろうとして階段へ向かうと、今度は今まさに階段の上から何かわけのわからないものがずるずるとはい降り始めているのではないかと考えてしまって、階段を覗き込むことが怖くなってしまうのである。

映画だけの話ではない。

同じようなわけのわからないはいずるものが、ゲームにも出てくるのだからたまらない。

なぜかわからないが家にあった、ナナシノなんとか、というゲームを面白半分でやってみたら、薄暗い3D空間をやっぱりわけのわからないものがはいずってくるではないか。

あわててDSの電源を落としたからよかったものの、あんなものに付き合っていたら最後、私は周囲が全て見通せるワンルームに作業部屋を引っ越さなければならなくなる。

それほど私は、恐ろしい目に遭っているのだ。

二度とJホラーなんか見るものか! と私が決心したまさにその数日後、ネコが私の部屋にやってきた。

ネコの世話をしながら、私は思ったのである。

いくらわけのわからないものがはいずってきたとしても、この柔らかくて暖かくてニャーニャーいう生き物をダッコしていたなら、もしかしたらかなり恐怖を紛らわせることができるのではないか? と。

そこで私は意を決して、まだ四匹に増える前のお母さんネコで挑戦してみたのだが、どうも彼女の方が私に恐怖を感じていたようで、とてもダッコさせてくれるような甘い状況ではなかったのである。

しかし、やはり日頃の行いというものはこういうときにモノを言うのだろう。

柔らかくて暖かくてニャーニャーいう生き物が、ある日突然四匹になったのである。

いろいろと問題は多いのだが、ことホラー映画鑑賞という点においては、この状況はまさしく天からの恵みという他はない。

出エジプト記で飢えた人々の前にマナがぼとぼとと落ちてきたようなものだ。

手のひらの上に乗るほどだった仔猫三匹は、数ヶ月の間にお母さんネコと変わらない大きさに成長した。

ネコ四匹がそこら中にネコ毛を惜しげもなく撒き散らすという予想もしなかった弊害が私を襲ったものの、とりあえず仔猫三匹は私をそれほど恐怖の対象としては考えない程度には、慣れてくれたようなのだ。

三匹の中の、一番なついてくれている仔猫をつかまえて無理矢理にダッコした私は、かねてからの計画通りにその状態のまま、Jホラー鑑賞の態勢に移った。

しかし、私は忘れていたのだ。

仔猫といえども、動き回ることが本来の性質である、動物であったことを。

映画が始まって三十分が経過し、そろそろ最初のわけのわからないものがはいずり始めようかというまさにその時、ダッコしていた仔猫は私の頬に仔猫のくせになぜか異様に鋭い爪でもって数筋の傷をつけたあと、どこかに行ってしまったのだ。

たぶん、仲間ネコかお母さんネコが恋しくなったのだろう。

計画は破綻し、私は二度と観るかと決めていた、はいずるものをなぜかまた、ひとりで震えながら観てしまったのである。

おまけに、そういうときに限って、ネコたちは静かにおとなしくしていて、物音ひとつ立てずに私からは見えないところで、ゆっくりと呑気に寝ているではないか。

天が与えてくれたマナは、実は腐敗していてお腹をこわしてしまったかのようだ。

せっかくお世話してあげているにもかかわらず、もはやネコにさえ頼ることができなくなった私は、それ以来Jホラーは観ていない。

どうしてネコに頼ってまでそんな映画を観ようとするのか、始めからそんなものは観なくてもいいではないか、というご意見もあろう。

確かにその通りであると認めたいところであるが、その意見は、私がJホラーが好きであるという要素を考慮していない。

怖くて仕方がないのに、私はJホラーが好きなのである。

本当は観たいのに、怖くて観られないのだ。

これではまるで、矛盾する心境を抱えて悩みまくる中学生のようではないか。

あの計画遂行の夜以来、仔猫はなかなか私にダッコされない。

おそらく三十分間の拘束が相当頭に来たのだろう。
大丈夫だよ、今日はホラー映画を観るわけではないからね、と説得しても、寄りついてこない。

そういうわけで私は、なんとなく仲間はずれにされてしまい、騒々しい部屋の中でなぜかひとりだけ、さびしい気持ちを味わっているのである。

それならネコが来る前とそう変わらない状況に戻っただけではないかという意見は、間違っている。

騒々しい中での孤独というものは、単独の孤独よりも精神に負担がかかるのである。

その証拠に、ネコが来る前はそうはさびしいとは考えていなかったのだ。

ネコが来たおかげで、さびしくなってしまったのである。

いったい彼らは、この責任をどう取るつもりなのだろうか。

私をこんな気持ちにさせたネコたちに、なんとか責任を取らせたいと思うことは思うのだが、たまにニャーと言いながら足にすりよってくるネコを見てしまうと気持ちがぐらつく、と言うよりもぐらつく段階をすっ飛ばしていきなり転倒してしまうのである。

したがって私は、もはやネコに頼ることはあきらめ、自分の力でさびしさを紛らす方法を開拓するよりは他に、方法がなくなってしまったのである。

その方法のひとつが、このブログであると言ってもいいだろう。

内容もオチもないただだらだらと長いだけの文章を気の済むまで書き散らすということが、それなりに私のさびしさを紛らせてくれているのである。

もうひとつの方法として、数日前からツイッターに手を出してしまった。

ツイッターにはあまり興味がなかったのだが、ネコが相手にしてくれないものだから、半ばやけくそで始めてしまったのだ。

半ばやけくそで始めてみたツイッターだが、少しつぶやいてみて、思ったことがある。

このブログには、わざとではないのだが、プロフィールを載せていない。

私の自己満足だけのつもりだったので、特にプロフィールを載せる必要も感じなかったからだ。

それでもいつの間にか、ブログにあるまじき長文にもかかわらず、それなりの数の人が読んでくれるようになったのである。

私が勝手に考えるにこれは、ブログにあるまじき長文、という部分がけっこう大きいのではないかと思うのである。

世の中は簡単な方向にどんどん流れている。

ホームページよりは簡単なブログへ、さらにもっと簡単なツイッターへ。

そんな流れの中で、まるで正反対の長文というのは、それなりに珍しいものになってきているのかもしれない。

もしそうなら、ありがたい話である。

ありがたい話ではあるが、それはブログだからであって、140文字限定のツイッターでは、同じ手は使えない。

どうせつぶやくなら、少しは誰かに見てもらいたいと、自己満足的に完結しやすい私でも思うのだ。

そうなると、超短文が特徴のツイッターでは、正体不明のままではなかなか人に見てもらうことは難しいということになってしまう。

たとえ一般人の私であろうとも、私はこういう人間ですと自己紹介をしなければ、ネコどころか人間からも相手にしてもらえないのが、ツイッターという世界なのではないか。

そういうことなのだなと、早合点かどうかわからないが、考えてしまった私は、ツイッターのプロフィール欄にこのブログのアドレスと、もう十年ほどやっている私のホームページのアドレスを載せてみたのである。

そうした後で、ツイッターで自己紹介しているのに、せっかくこのブログを読んでくれている方々には自己紹介しないというのは、人間的にどうよ? とも思ってしまったわけである。

特にあなたのことなどどうでもいいです、という方は無視してもらいたいのだが、とりあえず自己紹介のつもりで、以下に私のホームページのアドレスを記しておくので、興味がおありの方はぜひ一度ご覧くださいませ。

http://www011.upp.so-net.ne.jp/kat/

そういうわけで、ネコが相手にしてくれないさびしさを紛らすために、またまた意味のない長文を書き連ねているわけであるが、たかだかホラー映画をひとりで観るのは怖いということと、ネコが相手にしてくれないという愚痴のためだけに、これだけの長文を使ってしまい、それでもそれが許されてしまうデジタルデータはやっぱりすごいなあと改めて思ってしまうわけであるが、こんなことを続けていては近いうちにネコどころか人間にも相手にされなくなってしまうだろうことは、なんとなく私自身もわかってきているわけで、これからは少しは意味のある文章を書かなければいけないと反省はするのであるが、たぶん明日になればまた、懲りずに意味のない文章をだらだらと書き始めるのだろうことも、やっぱり私にはなんとなくわかっているのである。

しかたないのである。

こういうことしかできないのである。

開き直ってしまうのである。続きを読む
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2010年05月16日

檸檬を投げたかった場所

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東京 聖橋

自宅や個人作業場で仕事をしている人たちとお話しているとき、ときおり話題に上がるのが、作業中にどんな音楽を聴いているのか、という話だ。

もちろん人それぞれなのだが、私はこの話題になるととても困るのである。

というのも私は、音楽をかけながらの作業をあまり行わないからである。

音楽が嫌いなわけではない。

音を聞くのは好きな方だとは思うのだけど、作業に集中してしまうと、どんな音楽をかけていても聞こえなくなってしまうので、あまり意味がないなと思ってしまい、とうとう聴くこと自体をやめてしまったのである。

かと言って、真夜中にひとりで静寂の中にいるとやはりさびしくなってしまうことは結構あるわけで、最近は映画を流しっぱなしにしている。

手元で行う作業に疲れて、ふと顔を上げるとモニターで映像が流れているという状況が、なかなか気に入っている。

こういう仕事中に流す映画は、完成度の高い良い映画ではいけない。

映画に夢中になってしまっては、本末転倒だからだ。

適度に派手で単純で途中の見せ場以外は見ていなくてもいいような、それでいてそれなりに自分が好きな映画であり、できれば過去にすでに数度以上見ているような作品が、この場合の選択基準である。

映画はきちんと集中して観るべきだと勝手に考えていた私は、こういう映画の見方は今までにしたことがなく必要に迫られて始めてみたわけだが、いざこういう視点で過去に見た映画を見直してみると、なかなか今までは気がつかなかった面白い部分が見つかることもあり、自分の映画の見方がかなり浅かったことを教えられてしまうのだ。

この視点で映画を眺めてみて私が見直した映画監督は、ローランド・エメリッヒ監督だ。

正直に話してしまうと、派手なだけで見るべきところのない映画ばかり作る人だなあと、偉そうにも思っていたのである。

「スターゲイト」も「デイ・アフター・トゥモロー」も「インディペンデンス・デイ」も、一度観ておけば充分だな、などと考えてしまっていたのだ。

エメリッヒ監督のファンの方には申し訳ないのだが、私としても過去に数千本の映画を見てきたという自負があるものだから、自分の評価の仕方にはそれなりの自信を持ってはいたのである。

しかし、私は間違っていた。

エメリッヒ監督作品は、作業中に流す映画としては、最適だったのである。

映画ファンを自称する方々は、ハリウッド大作をあまり評価することはしない。

そういう方々は、もちろん私も含めてと言えるのだが、どちらかといえばユーロ方面の映画を評価する傾向があるのだが、それは見方が浅いと言わざるを得ないことに、私は最近気がついてしまったのである。

確かに、エメリッヒ監督作品が代表するハリウッド娯楽大作の、作品としての質にはいろいろな意見があるだろう。

しかし、質の高い作品が、何度でも繰り返し観る流し見に耐えられるかといえば、決してそういうわけではないのだ。

集中して観るわけではない映画の見方。

これもまたひとつの映画の見方であり、それに耐えられる作品はその点において、やはり優れていると評価するべきなのだろう。

そんなことに今頃気がついたのかと言われると返す言葉もないのだが、おそらく本気で映画を観れば観るほどなかなかこの点に気がつくのは難しいのではないかとも思うし、ハリウッド娯楽大作を認めてしまうことになるこの視点は、映画ファンを自称すればするほど、プライドが邪魔をしてしまうものなのではないだろうか。

「2012」が映画ファンの間で酷評を受けていることは理解できるし、確かにまともな見方をすればいろいろと問題の多い作品だとは私も思うのだけれど、それでも「2012」ほど繰り返しの流し見に耐えられる作品は、それほど多くはないとも思うのだ。

そういうわけで、最近の私は結構エメリッヒ監督作品にはお世話になっている。

徹夜作業を行うと朝になるまでの間に、宇宙人が巨大な宇宙船で攻めてきて地球が破滅しかけたり、氷河期が突然訪れて地球が破滅しかけたり、太陽フレアの影響で地球が沸騰して破滅しかけたりしてしまうわけである。

もちろんエメリッヒ監督作品ばかり流し見しているわけではない。

ああ今日は徹夜になるな、とあらかじめわかっているときは、「ロード・オブ・ザ・リング」をはじめから最後まで、流しっぱなしにすることも多い。

三部作を全部見てしまうと10時間ほどになるこの映画は、まるで私の作業のことを考えて作ってくれたのではないかと思えるほど、実に徹夜作業向けの映画なのだ。

もうすでに10回以上は続けて流し見しているが、何度見てもアラゴルンの「フロドのために」というセリフにはしびれるし、ミナス・ティリスでミドル・アース全体がホビットに頭を下げるシーンには震えてしまう。

問題は、この映画を流しているとところどころで作業が止まってしまい、やはりあまりに傑作すぎる作品は仕事中には流すべきではないなと毎回反省しながらも、やっぱりまた流してしまうところである。

しかしだからといって、「ダンサー・イン・ザ・ダーク」とか「レクイエム・フォー・ア・ドリーム」とか「ファニーゲーム」などを流した日には別の意味で作業にならなくなってしまうわけで、夜中の映画選びはやっぱりなかなか難しいのである。

ところで、今更ではあるが実は今回は音楽の話をしようと考えて書き始めたのであるが、なぜかいつの間にか映画の話になってしまっているではないか。

元々の構想では、あまり作業中に音楽を聴かないのだが、聴くとしたら新しい音楽では集中できないので昔から聞き慣れた音楽を聴くことにしているのだ、とかなんとか、そういう方向に持って行こうかと思っていたのである。

無理にでもそういう方向に持って行かないと、冒頭の写真の意味がまったくなくなってしまうのである。

というわけで、とってつけた感は拭えないにしても、とってつけたように音楽の話もしてしまうのである。

とってつけたような話で申し訳ないのだが、音楽には外部記憶装置としての機能があると言い切っても、反論される方は少ないだろう。

ある特定の音楽を聴いてしまうと、過去の記憶が強烈に呼び起こされるということが、おそらく誰にでもあると思う。

特に、中学校から高校の間で聴いた音楽は、それなりの年齢を重ねたあとで聴くと、その頃の記憶が呼び起こされてしまいどうしようもなくなってしまうという方は、きっと多いはずだ。

私の場合それが、さだまさし氏の歌だった。

同級生だった女の子に教えられて聴き始め、そのころ出ていたアルバム3枚を繰り返し繰り返し何度も聴いたものだ。

このところはしばらく、さだまさし氏の音楽からは離れていたのだが、ふとした事情で、久しぶりにあのころに聴いていた3枚のアルバムを聴いてしまったのである。

効果は、ものすごいものだった。

ほとんど忘れかけていたあの頃の記憶が、ダムが決壊したように溢れ出してきたのだ。

音楽とは直接関係しない事柄まで全て、音楽をきっかけにして蘇ってきたのである。

空の色や空気の匂いまで、思い出してしまったのだ。

自分が何を考えていたのかということさえも思い出してしまい、しばらく身動きができないほどだった。

いつか大人になったらしてみたいこと、いつかは行ってみたい場所など、あの頃決めていたことが今になっても実現できていないことが多く、かなり落ち込んだりもしたのである。

さだまさし氏の初期のアルバム「私花集」の中に、「檸檬」という歌が収録されている。

私はあの頃、その曲を聴きながら、いつかこの歌詞の中で歌われている場所に行ってみたいと思っていたことを思い出したのだ。

「檸檬」は、こう歌っていた。


食べかけの檸檬、聖橋から放る
快速電車の赤い色が、それとすれ違う


見たこともないその橋から、私はいつか電車めがけてレモンを放り投げてやろうと思っていたのである。

それを思い出したとき、今ならすぐにでも実現できると思い、私はあの頃の夢の、わずかなひとつだけではあるけれど、実現しようと決めたのだ。

私が子どもの頃に、いつかは行ってみようと決めていた場所。

そのひとつが、冒頭に掲げた写真である。

東京、JR御茶ノ水駅のすぐ近く、湯島聖堂の脇にある、聖橋からの眺めである。

私は聖橋に立つと、何かすごく大事なことをしたような気になり、心底行ってよかったと思ったのだ。

さすがに、檸檬を放り投げることはできなかったのだけれど。
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2010年05月08日

これでいいのかもしれない

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大阪 道頓堀

リドリー・スコットという映画監督がいる。

私の大好きな監督のひとりだ。

けっこうな量産をしているので、当然のことながら波はあるのだが、ほとんどの作品が期待を裏切らないレベルにあるのは、さすがだ。

映画の内容や完成度などを書き始めるときりがないのだが、ひとつだけこの監督の好きなところはと聞かれたら、私はきっと、空撮シーンを挙げてしまうだろう。

それほど私は、リドリー・スコット監督の空撮シーンが大好きなのだ。

「ブレードランナー」の雨に煙る未来都市の夜景、「グラディエーター」のローマ市街、「ブラックホーク・ダウン」のヘリ墜落シーンなど、素晴らしい空撮が多い。

中でも、私が一番好きな空撮シーンは、「ブラックレイン」の大阪市街だ。

オレンジ色の靄に煙る南港あたりの鳥瞰図は、日本でありながら日本ではない、映画の中だけに登場する異世界として、見事に表現されていた。

そして同じく、道頓堀を上空から眺めたシーンもまた、大阪のはずなのにどうしてこうも違う世界になってしまうのだろうという、もちろん良い意味での現実離れした凄みがあったのだ。

その道頓堀空撮シーンで、キーとして使われていた建物が、戎橋の袂の、キリンプラザビルである。

光の塔が四本屹立した独特の形状は、グリコのネオンサインに代表されるレトロでけばけばしい道頓堀の風景の中にあって、唯一場違いな近未来観を醸し出しており、なんとも奇妙で混沌とした、大阪という異世界を演出している不思議な建物だったのだ。

私はこのキリンプラザを含めた戎橋界隈をまるごと国宝として保護した方がいいのではないかと無責任に思っていたのだが、その思いも虚しく、キリンプラザビルは2007年に解体撤去されてしまった。

しかし、ここは大阪のことだから、その跡地にはこれまた目を疑うような斬新で異様なものを建ててくれるに違いないと期待もしていたのである。

だが、あろうことか跡地に建てられたのは、普通の四角いビルだったのだ。

たまたま今年のはじめに、そのビル、ラズ心斎橋に入るH&Mの開店時に通りかかって写真を撮ってきたのだけれど、これでいいのか大阪? と、これまた無責任な感想を抱いてしまった。

何の工夫も感じられないミッドランドスクエアという四角いビルを建てられてしまった名古屋人の言うことではないかもしれないが、それは名古屋だから大目に見られることであって、吉本興業が実質支配に及ぶ大阪で、これはあってはならないことなのではないだろうか。

と書きながらも、再びリドリー・スコット監督が大阪を舞台に映画を撮って、その中でラズ心斎橋をかっこよく空撮している場面を観たなら私はきっと、これでいいのか大阪? などと思っていたことはすべて過去に追いやり、再びこの界隈を世界遺産指定するべきだとかなんとか思ってしまうだろうことは火を見るより明らかなのだ。

結局、好きな映画の中に登場している風景をいつまでもこの目で見ていたいというあまりに自分勝手な思惑だけで物事を評価しているだけの大馬鹿者であることは間違いないのだが、しかしやはり私は、戎橋周辺の眺めと雰囲気が大好きなので、自分勝手とはわかっていても何か変化があるたびに、これでいいのか大阪? と言い続けてしまうかもしれないのである。

そう考えて見ると、世の中は全て、これでいいのか? とみんなが思いながらもいつの間にか出来あがっている景観が正しいものとなり、そこに新たなものが加わるたびにまた、これでいいのか? と思いながらも、やっぱりいつの間にかそれが正しいものとなっていくのだろう。

それではいったい、保守主義とは何のことだろうとまで考えてしまうような深みに陥りそうになってきたので、とりあえず今回はこのあたりにしておこう。
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2010年05月05日

斑鳩の蔵

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奈良 「法隆寺」

法隆寺に赴くたびに、いつも不思議に思う。

なぜこの寺は、こんなに魅力的なのだろう。

いろいろなお寺や神社に出かけてみたが、法隆寺で感じる雰囲気は独特なのだ。

日本を代表する寺でありながら、東大寺や興福寺とは違い、法隆寺全体がどこか沈んだ暗い感じがするのである。

こう感じるのは、私が先入観を持って法隆寺を見ているからだろうか。

おそらく、理由のひとつとして、本尊である釈迦三尊像や夢殿の救世観音像の作者と伝えられる止利仏師の作風に拠るところが大きいのではないかとも思う。

一目で分かるその作風は、教科書でも教えてくれるように、デーモニッシュでワイルドだ。

よく、自然光の下で見てみるとそれほど悪魔的ではなく優しくさえ見える、というような評論を見かけるが、そんなことはない。

どのように見ても、止利仏師作の仏像を見て始めに思うのはやはり、恐ろしいという印象だ。

法隆寺は最近、金堂内部に照明を設け、本尊を明るい光の下で観察できるようにしてくれた。

以前の金堂内部は陽の光が入らず、暗がりの中で本尊を拝まなければならず、気をきかせたお寺の職員の方が、これをどうぞと懐中電灯を手渡してくれたほどだ。

しかし、さすがに金堂のご本尊のお顔に直接懐中電灯の光を向けて眺めるのは気が引けてしまい、あまりじっくりとは観察できなかったのは私だけだろうか。

その頃のことを考えると、金堂内照明はありがたいことはありがたい。

ありがたいが、少し残念な気もするのである。

千数百年を超え、国宝としてこの時代まで残る仏像作者が、金堂内の光の具合を作品制作の上で考慮しないわけはない。

つまり、止利仏師の制作意図や展示効果を最大限に引き出すためには、何もしない方がいいのである。

暗い金堂内部で、わずかな光だけに照らされうっすらと見える悪魔的な仏像。

おそらくそれが、作者が本来意図した効果なのだ。

同じように、夢殿内部の厨子にも、照明が施されたようだ。

今回は朝早くに参拝したので、照明が設置されたのかどうかをはっきりと確認できたわけではないが、拝ませていただいた救世観音菩薩は、今までになく金色に輝いていた。

照明の効果なのか、それともお身拭いをしたのか、あるいはその両方なのか、これほどに見事な金色だったのかと驚いたほどだ。

これらの独特な仏像が、法隆寺の雰囲気を作る要素のひとつになっていることは間違いない。

しかし、もっと大きな要素はやはり、法隆寺にまつわる様々な出来事や謎を、それなりに知ってしまったという先入観だろう。

法隆寺は、これほど有名な寺でありながら、その由来さえもはっきりしていない。

はっきりしていないというのは誤解があるかもしれない。

わざとはっきりさせていないのである。

そう思える節が見えるから、困ったものなのだ。

本来はこれほど古く大きな寺なら、まず間違いなく日本の正史である日本書紀に多くの記述があってしかるべきだが、法隆寺に関しては、ほとんど書かれていないのだ。

ただ一箇所だけ、法隆寺は燃えてしまった、ということが書かれているのみである。

創建時のことも、燃えたあとの再建も、まったく記述がないのである。

これはつまり、わざと書かなかったと考えるしかない。

何らかの理由で、法隆寺は日本の正史から削除されるような寺になってしまったのである。

歴史は勝者が作るとよく言われるが、法隆寺は現日本にとっては、本流ではない地位に属していると考えるのが妥当なのだろう。

そのせいなのか、現代の法隆寺でさえ、行政からあまりきちんとした対応をされているとは思えない。

一度でも法隆寺に行ったことがある方ならおわかりだろうが、法隆寺へ至る国道は狭く、渋滞がひどい。

周辺環境も、日本を代表する観光地としては、とても整備されているとは言い難い。

東大寺周辺と比べればよくわかる。

このような扱いを受けているにもかかわらず、法隆寺は東大寺や興福寺と肩を並べるかそれ以上の知名度を誇り、聖徳太子は今でも日本のヒーローと言ってもいい扱いだ。

なぜ、このようなことになっているのだろうか。

以前、長田の鉄人像のことを書いたときに、災害と怨霊の関係について少し触れたが、法隆寺のことを考えていると、どうしてもそのあたりのことを思い出してしまう。

何らかの理由で日本という国は、本流ではない法隆寺と聖徳太子を、神として崇めなければいけなかったのではないか。

それは過去の話ではなく、現代でさえまだ続いているのではないか。

梅原猛氏の「隠された十字架」に書かれている通りに、聖徳太子怨霊説というものが、本当にあったのではないか、と思えてくるのである。

現在の法隆寺を見ていてさえ、そう思ってしまう不思議が、法隆寺にはある。

梅原氏が聖徳太子怨霊説の中で述べた、怨霊封じとしての中門の柱、救世観音像の後頭部に直接打ち付けられた光背など、普通に見ても他とは違う異様さが法隆寺には潜んでいる。

これらの不思議や異様が混じりあって、法隆寺の雰囲気を作り出しているような気がするのだ。

そしてこの雰囲気が、法隆寺の魅力になっているのではないか。

日本書紀にさえ無視された法隆寺には、無視されただけの何かがある。

仮に聖徳太子が怨霊でなかったとしても、現代にまで残された謎には何らかの根拠があるはずだ。

謎があること自体が、法隆寺という寺の異様さを示しているとさえ思える。

普通の寺には、謎などはない。

由来と信仰、伽藍と本尊だけで充分に寺としては機能するからだ。

もちろん、他の寺に謎がまったくないとまでは言うつもりもないが、法隆寺に比べればないに等しい。

それくらい、法隆寺の謎は多すぎる。

謎がなければ何か不都合があるのではないかと思えるほど、多くの謎が法隆寺にはあるのだ。

本当に謎と呼べるのは、法隆寺の創建と再建に関する、歴史から消された目に見えない部分にあるのだが、それ以外にも、はっきりと誰の目にも見えて想像力をかきたてられる謎も多い。

五重塔の九輪に括り付けられた大鎌、南大門前の鯛石、中門の柱、西院境内のずれた中心線など、どうしてこうなっているのだろうと、その場で考え込んでしまうような面白いものが多い。

これほど謎だらけの寺であるので、当然のように、昔から言い伝えられている七つの謎というリストもある。

そのリストには、蜘蛛が巣を張らない、片眼の蛙がいる、雨だれの跡がない、などの、明らかに面白半分のような謎もあるのだが、その中に、私の大好きな謎がひとつある。

その謎が、冒頭に掲げた写真である。

南大門をくぐり、中門を正面に見ながら境内を歩くと、中門の手前で東大門と西大門を結ぶ広い道に出る。

そこで左側を眺めてみると、浴室表門前に、奇妙な冊を見ることができる。

2メートル四方ほどで膝くらいの高さの冊が、何の説明もなく道の途中の中途半端な場所に、作られている。

何も知らずにその冊を見つければ間違いなく、なんだこれは? と思ってしまうほど、奇妙な冊である。

実は、今でこそ何の説明文もないのだが、以前は立て札が冊の横に添えられていた。

そこには、こう書かれていたのだ。

「此の寺の栄を見れば埋め置く。蔵開くべき世は遥かなり」

そう、この冊の下には、隠された蔵があるのである。

伏蔵と呼ばれる、地下の蔵だ。

法隆寺には、このような隠された蔵が三つあると伝えられている。

金堂の北東角、経蔵内部、そしてこの冊の真下の、三カ所だ。

聖徳太子の遺言で造られたと言われるこれらの蔵には、法隆寺が何らかの被害を被り、存続の危機に晒されたときのために、多くの財宝が納められているという。

この伝説は本当なのだろうか。

正式に発掘されたという記録はない。

金堂北東角と経蔵内の伏蔵は明治時代に密かに発掘されたとも言われるが、この浴室表門前の伏蔵は、発見が昭和58年とつい最近のことなので、もちろん発掘はされていない。

蔵が本当にあるとすれば、少なくとも千数百年前のものだ。

現法隆寺の伽藍配置からすると蔵の場所は不自然であるので、やはり若草伽藍の創建法隆寺時代から存在していると考えたい。

内部に何が納められているにしても、これほど想像力をかきたてられる謎はあるまい。

もしかすると、この蔵を開けるだけで、法隆寺の創建にまつわる謎がすべて解明されるかもしれない。

もしかすると、紀記からはわざと削除された、日本史の闇が判明するかもしれない。

もしかすると、皇室の歴史を揺さぶるような文献が発見されるかもしれない。

それほどの謎がこの三伏蔵にはあると、私は思いたい。

同じような謎を秘めた宮内庁管理の陵墓と同様に、ここには歴史学者を焦らす宝物そのものが、目の前にある。

天皇陵はおそらくこの先も、そう簡単には発掘調査されないだろう。

しかし、法隆寺には可能性がある。

現に、五重塔の調査では心柱の下から舎利容器や人骨などが発見されている。

近い将来にこの伏蔵が発掘調査される可能性は、充分にあるのだ。

そのときに何が発見されるのか。

期待は膨らむばかりだが、その一方で、やはり言い伝え通りにこのまま埋め置いてほしいとも思う。

発掘調査が現実味を帯びているからこそ、複雑な気持ちになるのだ。

私が法隆寺に出かけるたびに感じる独特な寺の雰囲気は、この伏蔵の伝説に負うところが多い。

その雰囲気はそのまま法隆寺の魅力となり、今でも年に数回は参拝に行くという行動につながっている。

調査してほしいのか、してほしくないのか、自分でもわからない複雑な気分を味わいながら、私は今回もまた、奇妙な冊の前でひとり佇んでいる。

何かとんでもないものが、この足元に埋められていることを願いながら。
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2010年03月29日

何も考えない、ようにしたい

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京都「詩仙堂」

実に落ち着くのである。

詩仙堂の庭に腰掛けて、春先のひんやりとした風と時折響く添水の軽やかな音に包まれていると、俗世間のことなど、もうどうでもよくなってくるのである。

締め切りがすぐそこに迫ってきていることも、この後で大急ぎで名古屋に帰らなければいけないということも、おそらく今夜は作業のために徹夜になるかもしれないということも、もうそんなことはどうでもいいのである。

普段はどこかに出かけるとすぐに、わけのわからない違和感を感じてしまって、どうしてだろうと考え始めてしまい、挙句に原稿用紙数十枚に及ぼうかというどうでもいい文章を推考もせずにつらつらと書き始めてしまうのだが、ここではそんなことはしない。

ここには違和感など、ないのである。

なぜこんな風流な住居をわざわざ寺にしなければいけないのだという違和感もないことはないのだけれど、 この際そんなことはどうでもいいのである。

ここでは何も考えない。

ただもう、座ってじっとしているだけでいいのである。

本来はこうして機械を取り出して文章を書くことさえ、この場では間違っている。

墨と筆ならまだしも、デジタルデバイスなど、場違いにも程がある。

それがわかっていながら、なぜこんなことをしているかと言えば、俗世間にまみれた私はついさっき、このブログ専用のiPhoneアプリを見つけてしまい、ダウンロードしてしまったからである。

今までは、外出先からメール投稿機能を使って投稿していたわけだが、そのソフトを使えばメールではなくて直接投稿ができるようなのだ。

そのソフトを試してみたくて、こんな場違いなことをしているわけである。

ああ、なさけない。

場違いにも程がある。

せっかく詩仙堂にいるのだから、この場くらいはおとなしくじっと鹿威しの音に耳を傾けていればいいのに、それさえできないとは私の業も相当なものである。

詩仙堂のすぐとなりにある神社には、宮本武蔵ゆかりの、一乗寺下がり松の古木が祀ってあるので、それでも拝んで少しでも業を払い落とす努力をしたいものである。
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2010年03月25日

鉄人についての勝手な考察

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2010/03/25-1
神戸 長田区「鉄人28号像」

やはり、見ごたえがあった。

神戸市長田区、若松公園。

全高15mの、鉄人28号像である。

立体造形を仕事とする人間の端くれとしては、この巨大な造形物は、とにかく一度現物を見ておかなければいけない物のひとつだったのだ。

巨大さに圧倒され、バランスに感心し、存在感に驚いた。

しばらくの間、像の前から動くことができなかったほどだ。

そして、その興奮が収まってきた頃、私は不思議なことに、わずかだが奇妙な違和感を感じたのである。

鉄人像そのものに対する違和感では、ない。

巨大な像がそこにあることに、公園として整備されてはいるがそれほど大きくはない広場に、唐突にその像が屹立していることに対して、私は違和感を覚えたのだ。

この違和感はなんだろう?

像を見た直後にはそれほど気にはならなかったのだが、名古屋に帰り、数日過ごす間になぜか、その違和感がどんどん大きくなっていったのだ。

これは、私の悪い癖なのである。

普通ではあまり見られないものや、私の常識から外れたようなものを見てしまうと、いつも何らかの違和感を覚えてしまうのだ。

なんとなく自分の中で収まりがつかなくなり、その理由を考えてしまうのである。

考えてみたところで大した結論が得られるわけではないのだが、それでも一応、自分が納得できるような結論が欲しいのである。

そういうわけで一度、長田の鉄人像に対して私はどうしてこんな奇妙な違和感を感じているのかを、考えてみることにした。

鉄人像は、平均的な学校の運動場くらいの広さがある公園に立っている。

像の足元には柵のような囲みはいっさいなく、近づいて像本体に触ることができ、ふんばった両足の間に入ることもできる。

周辺に柱などの付属建造物はなく、屋根も設置されていない。

風雨にはそのまま晒されるわけだ。

像は商店街の入り口を向くように南を向いて設置されており、東側には像よりもはるかに高い建物がすぐ横に建っている。

この建物のおかげで比較ができ、ある意味鉄人像の大きさを際立たせてくれている。

西側は中学校だ。

この学校の生徒は毎日鉄人を眺めながら授業を受けているわけで、とてもうらやましい環境だと言えるだろう。

北側にはJR線が東西に走っており、車窓からは鉄人像の背面を眺めることができる。

総合的に見れば、鉄人像は、ビルと学校に挟まれた昔からある小さな公園に、無理矢理ではないにしてもなんとか場所を見つけて立てた、という印象であり、付属建造物が何もないために、像だけがポツンと立っている感じがするのだ。

もちろん全高15mの像に対して、ポツンという表現は正しくないとは思うが、全体として見るとそのような感じを受けてしまうのである。

なぜこのような周辺環境の説明をしているのかといえば、つまり鉄人は、あらかじめ鉄人のために用意された場所に立っているわけではない、ということが言いたかったのだ。

もともとこの場所はただの公園であり、鉄人像をここに建造する予定など、はじめはなかったのである。

当然だろう。

鉄人像は、阪神、淡路大震災で甚大な被害を被った神戸と長田区の、復興の象徴として建造されたのだから。

阪神、淡路大震災についてはこれ以上に言及するつもりはないが、鉄人像は震災がきっかけとなり造られたという部分だけは、記憶に留めておいてもらいたい。

巨大な災害が人々を襲うことは、過去も現在も変わりはない。

私たちの生きる時代は縄文や弥生、平安や奈良時代に比べれば、はるかに進歩している。

しかし、やはり自然の荒れ狂う力の前では無力に等しい。

現在の私たちは地震などの自然災害が、まさしく自然の力のなせる業あり、文字どおり天災であることを知っている。

耐震設計の部分などで人災と言える被害もあるだろうが、地震そのものは天災なのだ。

天災は受け入れるしかない。

だから、災害のあとでどのように復興するかを、私たちは考える。

しかし、過去の人々は考え方が違っていた。

災害にはなんらかの原因があると考えたのだ。

そのもっともたるものが、怨霊である。

この世に怨を残して死んだ魂が、復讐のために災害を引き起こすのだ。

災害とは、純粋に人災だったのだ。

菅原道真、平将門、崇徳天皇。

彼らのような、怨霊となった魂が災害を引き起こす。

人々は、災害からの復興を考える前に、災害そのものを起こさないことを考えた。

災害の原因となる怨霊を鎮めることができれば、自ずと災害そのものがなくなると考えたのである。

こうして怨霊は、神として祀られることになった。

神として祀り敬えば、怨霊の怒りも鎮まると考えたのだ。

太宰府天満宮は今でこそ学問の神様だが、もともとは道真の怨霊と祟りを恐れ、その魂を鎮めるために建立された神社である。

東京の神田明神や京都の白峯神宮も同様に、怨霊を鎮めることが目的なのだ。

神代創建と伝えられる出雲大社も、出雲の大神の祟りがきっかけとなり創建されたと古事記には出ているし、一説には法隆寺も、聖徳太子の怨霊を封じ込めるための寺とされる。

このようにして建造された建物は、後世にまで残る可能性が高い。

災害への恐怖から人々の願いと祈りを集め、信仰の対象となるからだ。

いわば、災害の事前対策である。

事前対策なので、その建造物には期限がない。

いつまでも効力を持ち続けるために、人々はその建物を恒久的に扱おうとする。

建物は頑丈に造られ、御神体や本尊はしっかりと保護されて風雨に晒されるようなことはない。

このようにして残ってきたものが、現在私たちが見ている神社仏閣なのだ。

決して全ての神社仏閣がそのような由来だとまでは言うつもりはないが、相当数があてはまるのではないだろうか。

では、現在ではどうだろう。

現代は科学技術が進歩し、人々の知識も科学に裏付けされている。

災害が怨霊の仕業だとは、誰も考えない。

天災そのものを事前に防ぐことは不可能であり、根本的な対策はあり得ないと誰もが知っている。

したがって、呪術的な大規模建造物を建立して祈るような、事前対策はされることがない。

祈り自体は現在も続けられているが、過去に比べればその効力は弱くなっている。

祈りの真剣さが薄くなっている、と言うよりは、信仰自体が希薄になったというべきかもしれない。

これは、一般の人々の知識が縄文や平安に比べて深くなり、祈りの通じないであろう分野が広く知られてきたということだ。

決して現在の宗教や宗派の信仰が薄くなっているという意味ではない。

それでは、やはり災害がきっかけで建立された、長田の鉄人28号はどのように考えればよいのだろうか。

長田の鉄人像は、災害の事後建立である。

そこには次の災害を防ぐという意味はない。

そこにあるのは、災害で大変な被害を被ったけれど、そこから見事に立ち直りましたというメッセージだ。

つまり、災害の事後処理的な意味合いが大きいのである。

いわゆる、モニュメントなのだ。

ある事象を象徴した、記念碑なのである。

終了した事象を象徴しているのだから、期限はすでに過ぎている。

したがってもちろん、未来のために祈りを集めることはない。

つまり、信仰の対象とはなり得ないのである。

それが、長田の鉄人像がむき出しのまま風雨に晒されている所以であり、あらかじめ用意された専用の場所に建設されているわけでもない理由なのだ。

問題は、長田の鉄人像が、モニュメントとしてはあまりに異質すぎるところにある。

全高15mの鉄製の人型モニュメントというのは、全世界を探しても、長田だけなのではないだろうか。

仮にこの先2000年、人類が存続したとすると、そのとき長田の鉄人像はどのような評価を受けるのだろうか。

長田の鉄人は、故意に破壊されない限り、何事もなければおそらく、2000年後も存在するだろう。

そして、発掘作業の末に、再発見されると考えてみよう。

地中から発掘された、鋼鉄製の、あまりに巨大な人型。

そのフォルムはデフォルメされ、人をそのまま描写したとはとても考えられない。

腕は天を貫くように高く持ち上げられて、太い両足は大地をしっかりと踏みしめている。

当時の人々が思い描いた神を表現したものだろうか。

明らかに人型であるのだが、その巨大さの意味がわからない。

おそらく大仏と同じように、人々の畏怖を集め、信仰の対象として祀られていたのだろう。

しかし、信仰の対象としては、周辺状況が奇妙だ。

発掘された巨大な人型の周囲には、柱などがあった痕跡はない。

信仰の対象をむき出しにして、風雨に晒すだろうか。

周辺からは巨大な建築物の痕跡が出土しているが、これらはこの人型遺跡の周辺建造物と考えるのが妥当だろう。

これほどの巨大な建造物を備えた神像ならば、他にも類似の像が発見されてしかるべきだが、この巨人像には類型が見られない。

このようにして、長田の鉄人は、謎の遺跡として研究の対象となっていくだろう。

2000年後の鉄人像は、謎とロマンを秘めた遺跡となる。

現在でも、同じように扱われている謎の遺跡や遺物は多く存在している。

イギリスのストーンヘンジやナスカの地上絵などがその代表だろう。

そして日本では、銅鐸や土偶だ。

銅鐸は紀元前2世紀から紀元2世紀までの400年間にわたって製作された、青銅器である。

全国で約500個ほど出土しているが、現在でもその用途は謎のままだ。

マツリに使用された祭器だと言われるが、本当にそうだろうか。

先ほどの、長田の鉄人像の将来を考え合わせてみると、単純に祭器とも言えないのではないかと思ってしまう。

前述の通り、銅鐸が製作されたのは2世紀までである。

1世紀から2世紀にかけて銅鐸はどんどん大型化していくが、なぜか3世紀になると突然造られなくなっている。

そして、この時代はちょうど、邪馬台国の成立と重なっているのだ。

ここからは少し、想像を飛躍させてみよう。

邪馬台国の卑弥呼は、鬼道によって人心を掌握したと、魏志倭人伝にある。

シャーマンであった卑弥呼が、鬼道という宗教を通して、邪馬台国人の信仰を集めていたわけだ。

では、邪馬台国以前はどうだったのだろう。

もちろん人々の間で原始的な宗教と信仰はあったのだろうが、それはそれぞれ個別の祈りや願いのようなものであり、ひとつの信仰、ひとつの宗教の元に多くの人心を大規模に集めたのは、卑弥呼が初めてだったと考えてみよう。

そう考えると、邪馬台国以前には、信仰による災害などへの事前準備や対策のための建物や祭器はなく、あるのは事後のモニュメントだけだという考え方もできる。

人々が協力して何かを成し遂げたときに、感謝するべき共通の神という概念がまだなかったとすれば、神への感謝ではなく、モニュメントを造ったはずだ。

製作技術の問題で、そのモニュメントは決して大きなものではない。

しかし、人々の協力による達成感を記念するものとしては、大きさは関係がない。

やがて技術が進み、成し遂げた協力作業の大きさに比例してモニュメントも大型化していくが、あくまでも事後処理としての記念碑であるので、モニュメントそのものはそれほど重要な扱い方はされない。

モニュメントのための専用建屋などは建てられず、地面にそのまま置かれ、風雨に晒されていたことだろう。

この、邪馬台国以前のモニュメントが、銅鐸だったのではないだろうか。

これが、銅鐸が無造作に埋められていたり、墓の内部からは出土しない理由にならないだろうか。

用途がはっきりしないデザインであるのも、そもそも具体的に何かに使用するものではなかったからではないか。

モニュメントとしての銅鐸が、人々の協力作業の証として造られることが定着してきた2世紀、邪馬台国が成立する。

卑弥呼は鬼道を人々に伝え、ひとつの宗教と信仰を広める。

信仰を得た人々は、作業の達成を卑弥呼、すなわち神に感謝するようになる。

モニュメントの代わりになるものが見つかったのだ。

こうして、邪馬台国の成立とともに、モニュメントとしての銅鐸は造られなくなっていき、やがて製作は完全にストップしてしまう。

こうして考えると、長田の鉄人は、現代の銅鐸と言ってもいいのではないかと思ってしまうが、それでは何も解決していない。

謎の遺跡として、未来の人々を悩ませることになることがわかっているのならば、何とかして鉄人像の本当の意味を、像そのものと一緒に伝える努力をしなければいけないのではないだろうか。

では、長田の鉄人像の本当の意味を、未来の人々に正しく伝えるためには、どうすればいいのだろうか。

実はこれは、立体造形物全体に常について回る、根本的な問題なのである。

立体造形物の、この場合は鉄人像と同じく人型の、今風な呼び方を許してもらえれば、フィギュアの、最大の問題とは、時間を表現できない点だ。

固体でできた造形物の特徴として、時間の流れの中の、任意の1点しか表現できないのである。

これが何を意味するかといえば、つまり、ドラマの表現が非常に難しいということだ。

人が何かの作品、例えば小説でもいいし映画でもよい、に感動することがあれば、それはほとんどの場合、その作品中に描かれた人と人の関わりや心の動きに対してだろう。

ある時間の1点から、別の1点に向かう間に、人はどう行動して、どう心を動かすか。

これを作者なりに表現したものが、ドラマである。

この時間の流れを、固定した立体物である彫刻やフィギュアは表現できないのである。

もちろん中には、ジャコメッティの彫刻作品のように、それ単体で人間の内面を表現する作品もあるが、それらはファインアートとして分類される作品であり、ここで話題にしている鉄人像やフィギュアとは方向性が違うので、ひとまず横に置いておくことにしよう。

それではなぜ、長田の鉄人像が注目を浴びているのだろうか。

なぜ世の中にはフィギュアが大量に出回っているのだろうか。

それは、固定されたポーズの立体物の、背景となるドラマを鑑賞する人自身が脳内で補完しているからに他ならない。

鉄人28号のキャラクターや物語は、鉄人像を鑑賞するほとんどの人が知っているということが、前提になっているのだ。

世に出回るフィギュアを購入する人は、そのキャラクターが登場する物語をすでに知っていて、フィギュアを見るだけでそのドラマを思い出せるのである。

つまり、フィギュアのような立体造形物は、鑑賞者による補完が必要な、ある意味、不完全な作品と言える。

もちろん、鑑賞者による脳内補完が全ていけないわけではない。

小説を例に出せばわかりやすいと思うが、小説の表現形態は、基本的に文字の羅列だ。

しかしそこに、意味を見出して頭の中で場面を想像することも、鑑賞者による補完といえるだろう。

ただし、これはフィギュアの場合とは決定的に違う。

小説の場合、鑑賞者の頭で補完される場面は、小説の作者が創造した場面を鑑賞者が脳内に再生しているにすぎないと解釈できるからだ。

これがフィギュアの場合、鑑賞者の頭で再生される場面は、フィギュア造形者が創り出したものではない。

あくまでも、そのフィギュアの元となった作品の作者が創造した場面が再生されるのだ。

つまり、一般的なフィギュアは、借り物のイメージを前提に成り立つ作品であり、それが不完全と言わざるを得ない理由だ。

当然のことながら、オリジナルフィギュアというジャンルも、あるにはある。

この場合は、すべてがフィギュア作者のオリジナルイメージであり、完全な作品と言えるだろう。

しかし、前述のフィギュアの特徴を思い出してほしい。

ドラマを表現することが極めて難しい立体造形物では、それ単体ではなかなか人の心を動かすことはできないのである。

そのオリジナルフィギュアの背景に、どんなに優れたドラマが隠されていたとしても、フィギュア単体では、それは鑑賞者に伝わらない。

以上の理由から、ビジネスとしてのフィギュアは、誰もがすでに知っている作品からイメージを借り、その作品内に登場するキャラクターを製品化する以外にないのだ。

オリジナルフィギュアを製品にするためには、その背景となるドラマをまず、不特定多数に周知しなければならない。

その労力を考えれば、オリジナルフィギュアがビジネスとして成り立たないのは火を見るよりも明らかだ。

この現状を打破できない限り、現在のフィギュアは、正統な作品としては認められない。

あくまでも元作品の2次創作、という立場からは簡単には脱却できないだろう。

しかし、私は近い将来に、立体造形物がドラマを表現できるようになると考えている。

具体的にどのような形になるのかはわからないが、おそらくは通信技術の発達が、それを可能にしてくれるだろう。

通信技術の進歩が、1次元である文字、2次元である画像のやりとりを可能にしてきたように、やがては3次元である立体造形物の通信を可能にするのではないかと思えるからだ。

この、3次元情報の自由なやりとりが可能になったとき、造形物でのドラマ表現が可能になるかもしれない。

それがどのような世界なのか、私は今から楽しみにしている。

あまりに話が脱線し過ぎたようだ。

長田の鉄人像に話題を戻そう。

鉄人像は、それを鑑賞する人々が、すでに鉄人28号のキャラクターと物語を知っているという前提の元に、建造された。

しかしその前提は、2000年後の世界でも通用するだろうか。

すでに鉄人の物語は失われていると考えるのが、妥当だろう。

物語が失われたとき、そのキャラクターの造形物は意味を失う。

観たことのないアニメキャラクターのフィギュアを店頭で見つけたとき、なんだこりゃ? と思うのと同じ感想を、2000年後の人々は鉄人像に感じるのだ。

ちょうど同じことを、私は先日、体験した。

東京で、土偶展を見たときのことだ。

縄文の人々が造るデザインの先進性に驚きながらも、どうしてこんなカタチにしたのだろうという、戸惑いの方が大きかったのだ。

かろうじて人型であることは理解できるものの、なぜここまで抽象的な形状にしようとしたのか、理解に苦しんだのである。

すぐそばに現実の人間がいるだろうに、なぜその人をモデルに造らないのかと、少なからず疑問に思ったことを白状しておきたい。

しかし、今考えてみると、もしかしたら縄文の人々はすでに、物語の創作という文化を持っていたのかもしれないと思うのだ。

そう考えれば、遮光器土偶の意味も理解できるような気がする。

遮光器土偶は、キャラクターだったのではないか。

縄文のビーナスにしても、中空土偶にしても、すべてなにかの物語に登場するキャラクターだったのではないだろうか。

そう考えると、妙に納得できてしまうのだ。

現代の私たちも、人型造形を行う場合に、普通にリアルな人間を製作することは少ないと思う。

わざわざ手間をかけて造るのなら、できるだけ面白いものを造ろうと考える。

その結果、現実には存在しない怪物や、極端にデフォルメされたキャラクターなどを造形することが多い。

それとまったく同じことが、縄文の昔に、すでに行われていたのかもしれない。

ただ、悲しいかな、縄文の物語は、現代までは残らなかった。

物語が失われて、残ったものは解釈が難しい立体造形物だけだったのではないだろうか。

この考え方による縄文土偶と同じことが、長田の鉄人像に起きないと言えるだろうか。

今のままではまず間違いなく、鉄人像は解釈不能の、謎の遺跡となるだろう。

それを防ぐ方法は、ただひとつだ。

鉄人の物語を後世に残さなくてはならない。

物語、キャラクターの意味、建造された理由を含めた、すべてを。

聖書を題材にした過去の数々の作品が、意味を失うことなく現代でも生きているのは、作品の質もさることながら、聖書が現在も広く読まれているからなのだ。

物語を後世にきちんと残すことができて初めて、長田の鉄人像はその意味を保ったまま、歴史の中で生き続けることができる。

物語を後世に残す。

簡単そうに思えるが、おそらくそう簡単なことではない。

現代はデジタルの時代だ。

世の中は、すべてのデータをデジタルに置き換えようと躍起になっている。

しかし、デジタルデータが数千年の時間に耐え切れるものなのかどうか、誰も知らないのである。

誰もまだ、体験したことがないのだ。

私は、この点が非常に不安である。

デジタルデータは確かに便利だが、一度失ったときのダメージは、アナログデータの比ではない。

ハードディスクやフラッシュメモリのように、電気的なバックパックが必要でないストレージが増えてきてはいるが、それらが果たして、時間の荒波にどれだけ耐えてくれるのだろうか。

デジタル化の流れは、これからも続くだろう。

もちろん、それ自体は歓迎しよう。

しかしそれは、時間に対抗するだけのバックパックが確立されていることが前提だ。

そのバックパックが確立されたとき、私たちは安心して、すべてのデータをデジタルに移行できる。

長田の鉄人像を推進してきたプロジェクトの方々には、心から敬意を評したい。

同時に、できればもうひと頑張りしてもらい、鉄人に関するあらゆるデータを、タイムカプセル方式にして、鉄人像の真下に埋めてもらいたいのだ。

そのタイムカプセルは、開けないことにするのではなく、技術の発展とともに、データの入れ物を更新していくようなシステムを作りあげてもらいたいのである。

勝手なことを簡単に書いていると思われてもしかたがない。

しかし、あの見事な鉄人像を、私は後世まで残るようなものにしてほしいと願うのだ。

そのためには、物語が、なにがなんでも必要なのである。

私が長田の鉄人像を眺めて、わずかに抱いた違和感とは、やはり鉄人像だけが広場にポツンと立っていることに対して感じたものだった。

鉄人像だけではいけないと、無意識に感じた違和感だったのだ。

鉄人像の足元には何もないのではなく、タイムカプセルが埋設されているとする、表示板が必要だったのである。
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2010年03月22日

重要な理由があるはずだ

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東寺(教王護国寺)にて

わからない。

なぜだろう。

東寺の、伽藍や仏像のことである。

金堂、講堂、五重塔や、その内部に安置されている国宝を含む数々の傑作彫刻群のことだ。

一度でも東寺に参拝したことのある方ならおわかりだろうが、堂内がすごく埃っぽいのである。

埃っぽいだけではなく、安置されている仏像にも大量に埃が積もっている。

仏像だけではなく、堂の内壁や柱なども、ほぼ全面が埃に覆われているのだ。

これは一体、どういうわけなのだろうか。

東寺の創建は古い。

約1200年前である。

途中、火災などの被害によりそれぞれの堂は再建されているが、歴史としては絶え間なく現在まで続いている。

つまり、東寺は生きている寺なのだ。

その証拠に、現在でも毎朝きちんと法要が行われているし、なによりも京都のシンボルとして世界中から数多くの観光客が訪れている。

その、日本を代表するような寺の、伽藍や仏像が埃まみれになっているというのは、なぜだろうか。

有名な講堂の立体曼荼羅も、金堂の本尊も、だ。

何か理由があるのだろうか。

仏像に積もった埃は、その仏像の修復作業の際に重要な要素になると聞いたことがあるが、しかしまさか将来の修復のために御本尊を埃にまみれさせているわけではあるまい。

特別公開で開扉されていた五重塔の内部にも参拝させていただいたが、やはりそこも埃が積もっていた。

内壁の壁画の周辺には、お姑さんがお嫁さんの掃除の仕方をチェックするべく走らせた指の跡と同じように、観光客がつけたであろう指の跡が数多く残っている。

やはり、わからない。

どうしてこのような状態で放置されているのだろうか。

理由がない、とは思いたくない。

本尊が埃にまみれているのには、何らかの理由があるはずだ。

もしその理由を御存じの方がいらっしゃるのなら、ぜひ教えてもらいたい。
posted by kat at 17:16| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月17日

謎と秘密と、ロマンを求めて

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伊勢神宮にて

世の中は謎とロマンに満ち溢れている。

21世紀の現代でも、それは変わらない。

伊勢神宮に参拝に行くたびに、そう思うのだ。

ここにはレガリアのひとつ、八咫鏡が御神体として祀られていると言われている。

言われているというのは、確かなことが誰にもわかっていないからだ。

古代からのものがそのまま現存しているという説や、式年遷宮のたびに造り直されているという説もあるが、確かなことはわかっていない。

誰も見たことがないのだ。

鏡を納めた箱は遷宮のときに人の手によって移動しなければいけないので、箱があることはわかっている。

しかし、その中に何が納められているのかは、謎のままだ。

皇居にあるといわれる勾玉や熱田神宮の御神体である草薙剣も同様に、誰もそのものを見たことがない。

前述した遷宮時新造説を採るとすれば、現代の誰かがそれを造っていることになる。

そうなるともちろん宮内庁の監督下での作業になるだろうから、情報を知る立場の人はひとりやふたりでは済まなくなるはずだ。

そして伊勢神宮の遷宮ほど頻繁に、また長期に渡って行われている行事になれば、そこに関わる人の数も膨大になるはずである。

その人々全てを対象にした情報管理が、ここまで完璧に行えるものだろうか。

見たことがないというのが私たちのような一般大衆だけならわかるが、歴史学者や考古学者をも含めた全ての人が、見たことがないのである。

即位時に神器を受け継ぐ天皇でさえ、御神体そのものを見ることは禁じられているのだ。

この点からして、新造説はないだろう。

月面着陸がNASAの捏造だとする説が、あまりに完璧すぎる情報管理具合から信用できないとする考えと同じように、神器が新造されているというのは無理がありすぎる。

ではやはり、古代からのものがそのまま現存して箱に納められているのだろうか。

この場合は、ではいつ頃造られたものが現在まで受け継がれているのか、ということが問題だ。

希望としては、天照大神が天の岩戸に隠れたときに使われたそのものが残っていてほしいが、これはさすがに無理だろう。

日本書紀では380年頃の記述に神器が出てくるらしいが、もう少し古くならないものだろうか。

せめて漢倭奴国王印と同じくらいの、60年くらいのものが残っていてくれないと困る。

しかし、波瀾万丈な皇室の歴史を考えると、なかなかそうはいかないかもとも思う。

神器は、壇ノ浦でかわいそうな安徳天皇といっしょに海の底に沈んでいる。

引き上げられたともいわれるが、オリジナルが失われたことを隠すためにその後でレプリカが造り直されたと考えてもおかしくないし、沈んだ神器がそもそもレプリカだった可能性さえ否定できない。

つまり、やっぱりわからないのだ。

誤解のないように書いておくが、私はこの、わからないということが不満なのではない。

まったく逆なのだ。

わからないことが、うれしいのだ。

この現代に至ってもまだ、こういうことがあること自体がうれしいのである。

研究者はイライラすることだと思う。

伊勢神宮に行けば、目の前にその謎本体が置いてあるのである。

数十メートル先に、謎の解答が存在しているのだ。

それなのに手出しができない。

皇居や熱田神宮でも同じだ。

このイライラを想像すると、かわいそうになってくるほどだ。

最近は少しばかり規制が緩められたようだが、同じことが古墳にも言える。

宮内庁が管理する陵墓、すなわち古墳は発掘調査が規制されている。

国内にある古墳全てを発掘調査することができるのなら、おそらく日本の歴史は変わるのではないだろうか。

そして国宝や重要文化財の数も飛躍的に増えるだろう。

卑弥呼に贈られた漢倭邪馬台国王などと刻印された金印が発見されて、邪馬台国論争に決着がつくかもしれない。

しかしだからといって、すべてを許可するべきだとも思わないのは、決して私だけではないはずだ。

確かにもう少しくらいは学術調査を認めてもいいのではと思うには思うが、すべてを認める必要はない。

隠されたままにしておく方がいいものもある。

世の中が進歩してすべてがデジタル化されようとも、やはり秘密は秘密のまま残しておく方がいいのだ。

秘密は想像力を喚起する。

そして、想像力はすべての源なのだ。

私などは、もしかしたら今もまだ皇居の中には陰陽寮が存在し陰陽師が国を怨霊から護っていてくれるのではないかと思っていたり、法隆寺周辺の環境や道路があまり整備されないのは何か歴史的な意味があるのかななどと勘ぐったりしている。

こういうことを考えながら楽しめるのは、すべてが公にされているわけではないからだ。

ロマンという言い方をしてしまうと、本気で研究されている方々には申し訳ないと思うが、この時代になってもまだそれが残されているこの国が、私は好きだ。

秘密のまま残されている謎とロマンは決して三種の神器だけではない。

日本国中、いたるところにあると言っても過言ではない。

最近はグーグルアースのおかげで地球が狭くなってしまった。

そこら中を適当に空から眺めて、ああもう隠れた秘密なんてないなと早合点してしまう。

しかし、空から眺めてわかることなど、ナスカの地上絵の全体像くらいのものだ。

この世の中はまだまだ謎と秘密だらけだ。

私は、生きている間になるべくたくさんの謎と秘密を、グーグルアースではなくその現場で見てみたいと思う。

時間は、あまりない。

地球は言うまでもなく、日本でさえ、ひとりの人間にとっては手に負えないほど広いのだから。
posted by kat at 04:22| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月12日

夢のあと

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千葉、幕張メッセ「ワンダーフェスティバル」会場にて

2月7日、日曜日に幕張メッセで開かれたワンダーフェスティバルに出かけてきた。

お客さんとしてではなくモノを売る側、ディーラーとしての参加だ。

ワンダーフェスティバルにディーラーとして参加するようになって、かれこれ10年ほどになる。

毎年夏と冬の年に二回だから、おおよそ二十回目の参加ということになる。

ワンダーフェスティバル、通称ワンフェスは、立体造形物をテーマにした世界最大の造形イベントだ。

ありとあらゆる種類のフィギュアや模型が集合し、コスプレやステージイベントなども行われる。

参加ディーラーのほとんどが個人で、自作の造形物を販売したり展示したりするわけだ。

ディーラーは会場に設置されたテーブルを1単位とするスペースを借り、それぞれが「お店」を出す。

その「お店」の数、つまり参加ディーラー数が約1800というのだから、これはかなりすごいことである。

お客さんも含めた総参加人数では4万人以上だ。

立体造形という一般的にはあまりメジャーではないテーマを冠するイベントだということを考えると、この規模はかなりのものだろう。

ワンフェスはずっと東京有明のビッグサイトで催されてきたのだが、前回から幕張メッセに場所を移しての開催になってしまった。

幕張メッセでは年に一度キャラホビという、まあワンフェスと似たようなイベントも開催されていて、私たちはそれにも毎回参加しているものだから、つまりこれからは年に3回、幕張メッセに出かけなければいけないということになるわけだ。

さらに幕張メッセではときおりコロコロコミックのイベントも開催されていて、私の子どもがそのイベントに行きたがるものだから、もしかしたら年に4、5回は出かけることになってしまうかもしれない。

おまけに東京ゲームショーやモーターショーもある。

そうなるとおおよそニヶ月に一度の割合ということになってしまうではないか。

名古屋に住んでいながらこれはさすがに多すぎる。

子どもにはなるべく近所でデュエルやベイブレードしてもらうようにしよう。

ワンフェスやキャラホビ等のイベントにディーラーとして出かける時には、公共交通機関は使わない。

商品や展示品などのけっこうな量の荷物があるので、それらをクルマに詰め込んで夜中の12時ごろに出発し、高速道路をひた走って会場に向かうのである。

そしてイベントが終わるとまたしてもすぐに高速道路に乗り、夜中の12時ごろに帰り着くのだ。

前日に現場近くのホテルに泊まって翌日ゆっくりとイベントに参加し、終わったあともホテルでたっぷりと睡眠してから翌日にのんびりと帰って来ればいいのに、と思われるかもしれないし、実は私もそうしたいとずっと思い続けている。

しかし、これがなかなかそう簡単にはいかないから、困ったものなのだ。

どうしてこんなあわてたスケジュールで動いているのかと言うと、イベント前の準備がどうしてもぎりぎりになってしまうからである。

不思議なもので、どれほど時間があったとしても、なぜかいつもぎりぎりになってしまうのだ。

おそらく1800のディーラーで、余裕を持って準備ができている方々など、1割にも満たないに違いない。

もちろんこれは私の主観であって、統計データがあるわけではないのだが、おそらく間違いない。

どんなに時間があっても、結局はぎりぎりになる。

ぎりぎりにならない方が間違っているのである。

そういうものだから仕方ないのである。

相対論が間違っていないのと同じように、この法則も間違っていないのである。

ただし、帰りはまた別の理由がある。

私個人は言うなれば自由業なので、翌月曜におやすみしてどれだけ寝ていようとそれほど困ったことにはならない。

しかし一緒に参加している他のメンバーが全員そうとは限らないのである。

翌月曜におやすみして夕方まで寝ていると、どうせならそのままずっと寝ていてくださいという会社からの留守番電話が入る可能性のあるメンバーだって、やはりいるのである。

彼らのことを考えると、やはりその日のうちに帰宅させなければいけない。

つまり、やはり余裕はないのである。

この10年間、ほぼこのようなかたちでイベントをこなしてきたわけだが、実は前回のワンフェスあたりから少し事情が変わってきた。

私は数人のメンバーが参加するグループを主催していて、ワンフェスでは基本的にはオリジナルのシリーズしか販売しないディーラーであるのだが、諸事情によりしばらくそのオリジナルシリーズを休止することにしたのだ。

しかし、ワンフェスへの参加を取りやめるつもりは今のところはなく、次回もいつも通りに卓を借りるつもりだ。

そうなると事前準備がほとんどなくなり、月曜に仕事のあるメンバーをわざわざ連れて行く必要もなくなる。

卓を借りるには借りるが、商品を置かないのだから人手がいらなくなるからだ。

つまり、時間的余裕のあるメンバーだけを選んで出かければ、夢のイベント前後泊が実現するかもしれないのである。

行かなければいいのでは? という疑問や、何のためにワンフェスに参加するの? という疑念はとりあえず横に置いておく。

これから先もこのようなイベントに参加し続けるための、一時的な休息期間とでも考えることにするのである。

さて、冒頭の画像であるが、これはイベントが閉会して1時間ほどが過ぎた会場内の様子である。

開場中の画像はおそらくそこら中のサイトやらブログやらに掲載されているだろうから、少し趣を変えた写真を載せてみた。

ご覧になってわかるように、ものすごい速度で片付けが進んでいる。

わずか1時間前まではテーブルがずらりと並び、数万人が行き交っていたとはとても信じられないほどだ。

このくらいの勢いで片付けないと、おそらくは翌日に予定されているだろう次のイベントに間に合わないのだろう。

片付けのプロたちの仕事はさすがなのである。
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2010年02月05日

国のチカラ

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2010/02/05-1
奈良「橿原神宮」にて

一月の中頃の話になるが、今年の運勢を決めてもらうために、奈良の橿原神宮に参拝してきた。

なぜ橿原神宮かと聞かれると困ってしまうのだが、つまるところ行ったことがなかったからである。

京都、奈良にはかなりの頻度で出かけているのだが、今まで一度も橿原神宮には参拝したことがなかったのである。

近所まではよく行くのだが、なぜかいつも通り過ぎてしまっていたのだ。

これではあまりに神武天皇に対して失礼である。

畏れ多くも初代天皇であらせられる神武天皇を通り過ぎてしまうとはなんたることであるか。

私はこれまでの自身の行為を恥じ、謝罪を兼ねて運勢の決定をお願いしに向かったわけだ。

はじめて見る橿原神宮は、壮観だった。

伊勢、熱田、出雲の、どことも雰囲気が違う。

伊勢の神々しさ、熱田の神秘、出雲の力強さ。

それらとは違う、なんというか、「力」を、私は感じたのだ。

もちろん橿原神宮自体は比較的新しい神社なので、これら歴史のある神宮と一列に並べて比較することには異論があるだろう。

しかし、橿原で巨大な力を感じたのは間違いない。

その「力」の源はなんだろうと考えていた私は、ひとつの結論に行き着いた。

私が感じた「力」は、国家権力なのだ。

日本という国が、現在有している力。

それが、橿原神宮で感じた力の源ではないかと、私は思ったのである。

言うまでもなく、神社の最高位は伊勢神宮だ。

ただ単に「神宮」と言えば、それは伊勢神宮のことを指す。

しかし、伊勢神宮ではこのような威圧されるような「力」を感じることはない。

ふと頭を下げたくなるごく自然な畏敬の念と包み込まれるような優しさが、伊勢にはある。

そのような優しさが橿原にないとは言わないが、それよりももっと、威圧的な有無を言わさない雰囲気の方が強いのである。

国の歴史、皇室の存在、大戦の影響など、ここには様々な要素が積み重なっている。

それらが全て交じり合って、この場所の雰囲気を作り上げているのだろう。

東京以外に住んでいると、普段はなかなか国家の力というものを実感することはない。

日常の中では、国家を意識することはほとんどないのだ。

それ自体は日本が平和で、私たちが幸せな証拠だろう。

毎日、国家権力を感じさせられているのは、戦争中の国や共産圏くらいだろう。

しかし、国家は厳然と存在し、巨大な力を有している。

橿原神宮に参拝してそれを確認するというのもおかしな話ではあるのだが、平和に慣れきった私としては、国というものの存在を改めて意識させてくれた非常に有意義な参拝となったのである。

ちなみに、今年の運勢は末吉でした 。
posted by kat at 06:44| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする